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2012年 12月 09日
「萩原義弘とヤリタミサコ:写真と詩」第3回イヴェント
ヤリタミサコ、萩原義弘、菊地拓児、3人によるアートトーク
「目黒区美術館『文化資源としての<炭鉱>展』とその後」が昨日行なわれました。

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菊地拓児さんは、1981年北海道生まれ。
産業遺産や炭鉱遺産をテーマとして創作活動を行なうクリエーター。「コールマイン研究室」室長。
※コールマイン研究室とは、アーティスト・ミュージシャン・クリエイターを中心とした炭鉱研究・調査・ミーティング集団です。
東京都現代美術館で開催された川俣正展[通路]において正式に発足。

コールマイン研究室 

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以下、それぞれのコメントの抜粋です。


出生の地、朝日炭鉱は自分が高校の時、閉山しました。
人が簡単に死ぬ。『明日の命は知れない』という炭鉱での感覚があった。
東京に出てきて、それがない事に違和を感じました。

アメリカの詩人、エイドリアン・リッチの詩の中に「女は鉱山」という一節を見つけ、
mine (マイン)の語に、自己を考えるひとつの契機を見出しました。

目黒区美術館『'文化'資源としての炭鉱展』ではじめて萩原さんの写真を観て、自分の詩世界との共通点を感じました。
その出会いが、今回の詩集に結実しています。

2008年 東京都現代美術館で川俣正「通路」展を見た時、炭鉱自体が(不敬かもしれないが)
壮大なるインスタレーションである事に気付きました。

(ヤリタミサコ)



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目黒区美術館での『炭鉱展』、自分は話す側で、ヤリタさんは聞き手でした。
その後、冬青社での個展時に再会。自分の作品へ寄せるヤリタさんの深い理解がわかりました。
その後、詩集への作品提供の話しをいただき、快諾。
自分の作品ファイルをヤリタさんに渡し、好きな作品を選んでもらいました。

アルテピアッツァ美唄、現在はいわき市の画廊コールピット。炭鉱にゆかりある場所で展示をしています。
明日は撮影で札幌入り、30年前に事故があり、シリーズのきっかけとなった夕張を撮り直している。同じ場を何度も訪れます。

いわきでは、炭鉱住宅の解体現場なども撮影しています。戦前の新聞が壁に貼ってある。止まった時とその解体。家に立派な柱が使われていて、その時代、裕福だった炭鉱関係者がいた事がわかる。ひとからげできない、炭鉱という存在。

(萩原義弘)





自分の生まれた1981年は、夕張炭鉱ガス事故があった年。炭鉱産業終焉の契機となった事故の年に自分は生まれました。
手稲鉱山を10代で訪れて強烈な印象を受け、爾来、各地の炭鉱跡を廻っています。

川俣正さんと出会い、2008年、東京都現代美術館「通路展」で、コールマインラボとして活動。
三笠市の炭鉱夫の家に育った川俣さんは、自分の知らない生の炭鉱を知っている人。

現在活動中の三笠プロジェクト。サポーター「三笠ふれんず」募集しています。ロゴは自分がつくりました。

目黒区美術館「炭鉱展」折は、川俣さんのインスタレーションに共同作業で参加しました。
土門拳さん、山本作兵衛さんといった、重厚なドキュメンタリーと比べ、川俣作品は軽いと思われたようです。しかしその「様々」感が、多面体としての炭鉱なのではないか。

(菊地拓児)




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炭鉱について、人から話しを請われても、実は答えにくい。
NHKドキュメンタリーのようなウェットなイメージの炭鉱の生活以外の生活もあった。
過去は内的真実。自分は炭鉱を、ドキュメンタリーでなく、散文詩にします。

萩原さん、菊地さんの作品を尊敬するのは、世間が抱くウェットな炭鉱を拒否する仕事をしているからです。事実を見据えること、心的事実を大切にすること、それに加えて批評精神があるから、アート作品として自立している。


(ヤリタミサコ)




撮影時、「自分が楽しい」と思える事。撮影時、無理をしたり狙うと駄目な写真になる。
一切そこにある物には触れないようにしています。
被写体が寄ってくる。自然が寄ってくる。そうでなければ「撮れなくてもいい」というスタンスで、制作しています。

(萩原義弘)




昨年、北海道岩見沢でコールマイン研究室のメンバー(林哲)と共に「炭山の光」という展示を行いました。
リアルな炭鉱ではなく、光で炭鉱のイメージを表現したつもりです。

例えば、「三笠ふれんず」では、地元の人々や、美術を学ぶ学生たちを巻き込むかたちでプログレスが進行している。これは経済的な援助はどこからもないので、サポートメンバーによる会費で運営している。
町おこしではなく、特定の目的にからめとられない、自由な立場での「批評性」がアートの面白さ、可能性だと思っている。
ステレオタイプ化、外部から求められているもの、その危険性をいい意味で裏切るアートを目指せればと思います。

三笠ふれんず


(菊地拓児)
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個々のよって立つ場所、年代性別によって、対象に抱くものは変わります。
土門拳の写真の強烈なイメージ、NHKドキュメンタリーのような炭鉱ではない炭鉱もあること。明るい炭鉱。散文としての炭鉱。抽象的な炭鉱。
それぞれの持ち寄りが積まれ、いわば会話のインスタレーションを、周辺から見せていただいたような会でした。

by mmfa | 2012-12-09 20:55


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